弱さと成長のお話
人のいいところを見つけるのが得意。
綺麗事のように聞こえますが本気で思っています。
なぜ得意なのか?
それは自分に無いものばかりだから。
人のいいところを見つけるのと同時に自分の欠点が目につくのかもしれません。
コンプレックス:自分が他人より劣っていると思って嫌だと感じている部分。
他の人から見れば些細なことでも、本人にとっては重大な問題である場合もあり、誰しもが抱えているであろうこと。
自分の良いところを探そうとすればするほど悪いところばかりが気になり、短所は数えきれないほど思い付きます。
思い返せば苦い経験はどれも自分のコンプレックスが原因なものばかり。
身の回りで欠点の無さそうな人間と真っ先に思い浮かぶのは「弟」です。
年も近いので小さい頃はよく比べられたりもしました。
何をしてもすぐに上達する抜群の運動能力に加え、自分とは比較にもならない聡明な頭脳、誰からも信頼される人間力。
今では比較するのもバカバカしいほどの差がついてしまいました。
側から見れば才能に溢れた彼にもコンプレックスはあるのでしょうか。
輝いて見える人、自分に無いものを持っていると思う人。
まるで欠点など見当たらないような人達と比較すると自分の長所でさえ平凡に感じることもあります。
誰かと何かを比べる。
学生の頃は試合や試験など目に見える点数として他人と比べる指標が身の回りに溢れていました。
それが社会へ出ると数字には表せない部分で比較され、その差を埋める方法が単純なものではなくなります。
では目を背けたくなるようなコンプレックスとは、単に都合の悪いだけのものでしょうか。
自分にとっては完全に「No」。
自身の向上心の源は常に自分に足りないものでした。
コンプレックスを少しでも改善しようと試みること。
欠点を自覚し克服しようと努力すること。
その原動力のどれもが他者との比較による強烈な劣等感。
基礎すら無かった語学も2年間毎日継続すれば、独学でも現地のイタリア人とコミュニケーションを取れるくらいには成長できる。
目を背けたくなるほど嫌な弱点はいつも成長の機会を与えてくれました。
自分の弱点が際立って感じるほど身の回りには尊敬できる人ばかり。
まだまだ足りないものだらけ。
身の回りには常にそう感じさせてくれるほど魅力的な人たちがたくさんいます。
そんな人たちと話したり、仕事をさせていただけている今の環境は本当に恵まれているのでしょう。
今の自分が相手に対してそう感じるのと同じように、周りの人からも「めると会えてよかった。」と言ってもらえるよう、もっともっと成長していかなければいけません。
尊敬する周りの人たちに自分の良いところも見つけてもらえるように。
素敵な出会いと環境に恵まれてばかりの寄り道が辿り着いた目的地とは…?
最終回よろしくお願いいたします!
最終話、道の彼方に
STILE LATINOの魅力をお客様へ存分にお伝えするため、ナポリの工場を目指した当コンテンツですが、今回でその目標を達成し最終回を迎えました。
1年半にわたり連載を応援していただいた皆様、本当にありがとうございました!
初めてのヨーロッパ、初めてのイタリア、初めてのナポリ。
見るもの、会う人、食べるもの、その全てが刺激的で、大袈裟でなく自分がSTILE LATINOに出会わなければ体験することのできなかったものばかり。
自分にとって洋服とは「人生を豊かにしてくれる」ものの一つです。
どんな場所で、誰と出会い、どんな生活を送るかに合わせて自分の意思で選択するもの。
人からどんなふうに見られるかはもちろん、着る人の心を高揚させポジティブなエネルギーを生み出し、見てくれだけでなく、行く場所、会う人、過ごす時間をまだ見ぬ素敵なところへ連れて行ってくれる。
少なくとも私は洋服のおかげで、思いがけない出会いや、かけがえの無い貴重な経験をさせていただいています。
人生の主役が自分自身であると思うのなら、選択することを放棄し誰かに着せられた服で出かけるのは勿体ないと思うのです。
今回のイタリア遠征で改めて「洋服」が好きになりました。
STILE LATINIOの洋服は一枚の生地から非常に多くの工程をかけ、職人さん達が丹精込めて作り上げた「時間」そのものを享受しています。
その価値は実際に袖を通し手に入れた時、確かな満足として自分の中に残る。
好きなもののために伴った時間は、かけがえの無い満足としてきっと人生を豊かにしてくれます。
私にとって洋服がそうであったように、どうか皆様も「好きなもの」を大切になさってください。
次なる目標に向けてこれからも挑戦する日々は続きます。
大好きな洋服を着て、いつの日かまたイタリアに来れることを願って。
ring大阪 めるる
@mel_stilelatino
めるの寄り道
〜STILE LATINOファクトリーへの軌跡〜